りんごの音符(18)

ホルン/信末碩才さんのぶすえ・せきとし

栃木県小山市出身。12歳よりホルンを始める。春日部共栄高校を経て、東京藝術大学を卒業。ホルンを飯笹浩二、日髙剛の各氏に師事。第86回日本音楽コンクールホルン部門入選。第35回日本管打楽器コンクールホルン部門第3位。第73回ARDミュンヘン国際音楽コンクール木管五重奏部門にクインテット樹で出場し、セミファイナリスト及び新曲特別賞を受賞。これまでに愛知室内オーケストラ、日本フィルハーモニー交響楽団とソリストとして共演。現在、日本フィルハーモニー交響楽団首席ホルン奏者

信末碩才さん
信末碩才さん
信末碩才さん演奏風景
日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でソリストを務める信末さん(中央)=2024年6月、東京・サントリーホール(C)山口敦

インタビュー

中学校で吹奏楽部に入ったのは、実は消去法でした。ピアノを習っていたので楽譜が読めたし、運動が嫌いだったんです。ホルンを選んだのは母が中学校時代に吹いていた楽器が自宅にあったから。それまでは触ったこともありませんでした。

でもホルンにはまった瞬間は明確に覚えています。中学1年のとき、ホルン吹きが憧れる難曲「フェスティバル・バリエーション」(クロード・トーマス・スミス作曲)に出会ったことです。たまたま買った吹奏楽のCDに入っていて「これをいつか吹きたい!」と思って曲を「耳コピー」して練習しました。いま思うと音感が鍛えられましたね。念願かなって初めて演奏できた時は本当にうれしかったです。

高校もホルンにどっぷり。進学校で大学進学を期待されていましたが、ホルンのことをずっと考えていたら好きな勉強も嫌になってしまって。父と担任には反対されましたが、ホルンの先生に藝大を勧められて3年生の6月に受験を決めました。遅めの決断だったので入試ではみっちり勉強。音楽家の道を心配していた父も、今では演奏を楽しみにしてくれています。

藝大を卒業して、2019年に日本フィルハーモニー交響楽団に入団、21年に首席奏者に就任しました。首席は単に「うまいから」なるというわけではないと思っています。ホルンはパートの中で役割が明確に分かれていて、下を支えるパートは低音から高音への激しい跳躍があるなど、それぞれ難しさがあります。

首席は性格やキャラ的なものだと思っていて、もちろんテクニックも必要だけどリーダーの役割ができるかどうか。自分はせっかちなマイペースだから人に合わせるのが苦手なので(笑)、向いていると思っています。

ホルンは演奏するのが難しい楽器と思われがちですが、表現や音色の幅が特に大きい面白い楽器です。「難しい」に視点を置かれてしまうと、思いを乗せて吹いても「音を外さなかった」という点でひとくくりにされるのは悲しい。なんでもできることを知ってもらうのが目標で、自分も妥協せずに求めていきたいです。

「青い海と森の音楽祭」ではお客さんの反応が良かったです。雰囲気も温かく爆発的に盛り上がっていて、こちらが笑顔をもらえました。青森ではプロの公演の機会があまりないと聞きました。我々がきっかけとなって、いい音楽から「心の栄養」を受け取ってもらえたらうれしいです。また、青森ではリンゴジュースが飲めたのが本当にうれしかった。昔から大好きで、いろいろな種類を楽しめたのが幸せすぎました。今年の音楽祭、リンゴジュースも大きな楽しみです。

(まとめ・秋村有香)

信末碩才さん写真1 信末碩才さん写真2

作曲家はこんな人/ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

バッハはバロック時代を代表する作曲家の一人で、「音楽の父」と呼ばれていますが、その最大の理由は「現在の音楽理論の基礎を一人で整理し、完成させたこと」です。別な言い方をすれば、バッハは「音楽のルール」を作った発明家と言えるかもしれません。それまでの過去数世紀にわたる音楽の歴史を一人で書き換えてしまった巨人とでも言えるでしょう。

例えば、1オクターブを12等分する「平均律」を普及させ、どの鍵盤から始めても綺麗に演奏できる仕組みを証明したことはとても大きな出来事でした。

また、バッハの音楽の特徴は対位法という作曲技法を用いて、複数の独立した旋律が様々に現れるポリフォニーという音楽を確立しました。なお、現代のポップスの多くは一つの主旋律+伴奏(コード)という構成になっており、こちらはホモフォニーと呼ばれています。

中世以来、音楽は学問の「自由七科」の一つとして、算術や幾何学、天文学と並ぶ「数学的・科学的な学問」と見なされてきました。バッハはこの伝統の最後の、そして最大の体現者とも言われています。

バッハの音楽は数学的であると同時に、聴き手の感情を揺さぶる「弁論術・修辞学」に基づいています。特定の音の動き(音型)が「苦しみ」「喜び」「死」といった特定の意味や感情を示すバロック特有の手法が用いられています。

バッハは、自分の感情をぶつける(ロマン派的な)作曲家ではなく、あくまで「神への讃美」や「職人としての仕事」として曲を書いていたようです。毎週のように新曲を書かなければならなかった中でこれほどのクオリティを維持したことは驚きですね。(県吹奏楽連盟監修)